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「國次郎・春次・義孝」の三代で作り上げた糀屋柴田の糀と味噌

「國次郎・春次・義孝」の三代で作り上げた糀屋柴田の糀と味噌

はじめに

糀屋柴田春次商店は「初代・國次郎」「二代目・春次」「三代目・義孝」の三代で築きあげてきた糀・味噌屋です。その由来は現在のロゴマーク(國を丸で囲んでいるロゴ)の、社名の「春次」から伺い知ることができます。

糀屋柴田春次商店が三代にわたってつくり続けてきた「最高の糀・味噌」は、昭和45年、個人旅行者増大を目的にした日本国有鉄道(現JR)の「ディスカバージャパン」をきっかけに飛騨高山がクローズアップ。それを境に大きく発展していきます。

「初代・國次郎」の創業時の話、「二代目・春次」の会社危機を乗り越えた話、「三代目・義孝」の真摯な味噌作りへの情熱などとあわせ、三代の話をまとめてみました。ぜひ、ご一読ください。

初代 國次郎

國次郎<

國次郎は美濃の郡上郡奥明方村(現在の郡上市)から、30代の頃に着の身着のままで飛騨高山へやってきました。1924年(大正13年)、二代目の春次が当時3歳だった時のことです。

國次郎の本家原家は(國次郎は後に柴田家に養子に入った)はもともと郡上で糀屋を営んでいました。しかし、郡上には糀屋が多くあり、糀だけでは生活するにはとても厳しかったようで、夏には染物屋の仕事もしていました。
本家の原家は家族が多く、生活に苦しい國次郎は、郡上よりも大きい高山で商いをする決意したのです。

郡上と高山の位置

高山の川東で商いを始める

当時、高山の街は中央を流れる宮川を中心に、川の西側と東側では人の往来や商売の賑わいがまったく違う場所でした。商店街や繁華街は「川西」に集中、「川東」は商売をするにはとても寂しく不便な場所だったのです。

國次郎は飛騨高山に移り借家を探します。商いは立地がキメ手。当然、賑やかな「川西」で商売をするのが順当なのですが、あえて不適当な「川東」で商いをはじめたのです。(現在の下三之町本店/屋号:「○國柴田糀屋本舗」)

宮川を中心とした高山の地図

宮川を中心とした高山の地図

このことが将来の糀屋柴田春次商店の発展に欠かせない重要な決断だったとは、國次郎自身確信があったかどうかは、今ではわかりません。

「かうじ」ひらがなの看板

知名度も人脈もない國次郎は積極的に友達づくりに励みます。
また、高山の土地柄に合わせた商売のやり方を工夫します。 國次郎が飛騨高山の人に合わせた商売についてこんなエピソードがあります。 ○國柴田糀屋本舗の「かうじ」という看板の話です。

「糀」は文字を看板にすると漢字一つになりますが、國次郎はあえて「かうじ」とひらがなを筆字で書いた看板を作りました。この看板は田舎の人には功を奏しました。おそらく漢字の識字率や親しみやすさが影響したのではないかと思います。
この「かうじ」の看板によって○國柴田糀屋本舗の糀は少しずつ飛騨高山で広まっていきました。

現在の「かうじや看板」

現在の「かうじや看板」

その國次郎は48歳で他界。春次が20代で、義孝がまだ生まれていなかった頃の話です。

二代目 春次

二代目 春次

二代目の春次が○國柴田糀屋本舗を継いだのは昭和17年、20歳の時です。春次は尋常小学校しか出ていなかったのですが、とても知恵がある人で、彼の才覚で少しずつ店は大きくなってきます。

糀ブーム

店の発展のきっかけは、終戦直後の「糀ブーム」でした。当時は誰もがビンに米を入れ、棒でつっつきながら自家製のどぶろくを作るのが流行った時代で、原料となる糀が飛ぶように売れたのです。糀の他にも味噌を少々製造していましたが、家庭での味噌の需要も増えはじめ、品切れ状態。このような時代背景もあって味噌製造にも力を入れるようになったのです。

店の評判も上々。春次の名前は高山に次第に認められるようになっていきました。昭和31年組織変更を行い、有限会社柴田春次商店を設立。

会社は順風満帆にいくかに見えましたが、地元相手に糀と味噌を売るだけの商売では限界がありました。また、商品開発や製造機械の導入など飛騨に入ってくる情報量の少なさも事業の発展を妨げる要因になり、昭和43年頃には倒産の危機に直面するまで売上は落ちていきました。

何とか会社を立て直そうとしていた時、糀屋柴田春次商店を救う出来事が起きました。

昭和35年頃の店舗

昭和35年頃の店舗

ディスカバージャパン

それは昭和45年頃、日本国有鉄道(現JR)が行ったキャンペーン、「ディスカバージャパン」でした。このキャンペーンによって飛騨高山は観光地として脚光浴びはじめ、女性グループをはじめ多くの観光客が城下町高山へ訪れるようになったのです。

ディスカバージャパンポスター

初代國次郎が商いをはじめた「川東」の下三之町には古い町家が残る場所で観光の中心地に。そこに店をかまえたことが、大きな意味を成してくるわけです。

観光客が増えるということは、地元の人以外にも糀屋柴田春次商店の味噌が売れる可能性があることを意味します。「地域の誰かのためだけにつくる時代から観光客に売る時代へ」

このビジネススタイルの変化をいち早く感じ取った春次は持ち前の知恵で、このチャンスをものにしていきます。
(昭和46年、社名を有限会社糀屋柴田春次商店に変更)

いなか味噌の完成に力を注ぐ

まず、考えたのは観光客向けの核になる商品の開発。長年研究していた日本古来の味噌製法を受け継ぐ「いなか味噌」の完成に力を注ぎました。

この「いなか味噌」をつくるには途方も無い労力が必要で、量産するのは至難の技でした。苦労を重ねることでようやく商品化にこぎ着け、満を持して売り出しました。
大豆の旨味成分とほどよく合って、滋養深い味の「いなか味噌」は糀屋柴田春次商店の目玉商品となり、多くのファンの味覚を魅了しました。

いなか味噌

いなか味噌

高山の観光化に伴い、観光客に訴えるお店のイメージづくりにも着手。宮川朝市店を開店したのもこの頃です。このイメージづくりには春次の妻ふじゑが大活躍。お店の雰囲気、商品の陳列、POPなど、売上に直結するイメージを次々と考えだし、春次を支えました。

春次の最大の功績は、糀屋柴田春次商店を高山に根付かせたこと。さらに糀屋柴田春次商店の精神とも言える「いなか味噌」を完成させたことに尽きます。現在の会社の礎を築いた春次は昭和56年に若くして59歳で他界。春次の精神はこうして三代目義孝に引き継がれていきます。

三代目 義孝

三代目 義孝

三代目の義孝は昭和44年、家業を継ぐために糀屋柴田春次商店に入社しました。当時の生産量は現在の10分の1。義孝は売上を増やすためには味噌の増産は必須であると考え、そのために設備導入の必要性を提案しますが、春次は義孝の提案をなかなか受け入れようとしません。親子ならではの難しさもあったのでしょう。

ここで義孝はある行動に出ます。
春次が所有していた土地に無断でほったて小屋を建てたのです。「将来必ず大きな製造工場・倉庫が必要となる時が来る」と考えたからです。義孝はそこで将来を見据えながら、製造工程や設備・商品開発の研究に没頭しました。春次はとうとう義孝の懸命さを認めざるを得なくなり、製造工場・倉庫建築用の土地を購入したのです。

昭和51年頃店舗

昭和51年頃店舗

春次が他界した後、義孝は改革をどんどん進めていきます。 まず着手したのは、糀屋柴田春次商店の目玉商品である「いなか味噌」の生産性を上げることでした。「いなか味噌」は他の味噌と比べ、とても労力を必要とします。

一時はやめることも考えるほどでしたが、「いなか味噌は『糀屋柴田春次商店の精神とも言える商品』だから、何としてでも作り続けたい。」この想いが原動力となり、やがて画期的な製造方法を考案するのです。この発明と商品化に向けてのアイデアにより「いなか味噌」の生産性が劇的に向上し売上増に直結しました。

ほうば味噌の商品化

また、義孝は飛騨の食文化を代表する「ほうば味噌」を商品化しました。これはお土産品として大ヒット。味噌の加工商品の可能性を感じた義孝は、これを期にラボを自社に設置して、味噌を使った商品をたくさん揃える構想を描きはじめます。

ほうば味噌

ほうば味噌

売れる商品をつくることは、ただアイディアを出せば良いというわけではありません。
「追い求めるのは食の安心安全と飛騨高山の歴史的な製造法の流れを残しながら”香り・味・やすらぎ”を追求することである。」
義孝はそれが、糀屋柴田春次商店の生き残れる唯一の道だと考えました。

ラボより、いろいろな味噌の特徴を調べ、それからさまざまな食材の組み合わせを考え、新しい商品が次々と生まれはじめました。

正直、失敗した商品の方が圧倒的に多いわ」と義孝は笑い飛ばしますが、「糖化力の強い米糀」や「いなか味噌」「しょうゆ味噌」など、他の糀・味噌屋では決してつくることができない商品を世に出していきます。

このラボから作られる調味料は、料理人にも「おいしい!」と絶賛され、業務用としても数々の旅館・ホテル・飲食店にも普及。地元、観光客だけではなく幅広く世に知られるようになったのです。

初代國次郎が高山に移り住んでから90年。
三代にわたってリレーされてきた糀屋柴田春次商店は、こうして飛騨を代表する会社になったのです。

糀屋柴田春次商店ファンが全国にたくさんいること。
この事実こそが、どこにも真似のできない「最高の糀と味噌」をつくりだした証と言えるのではないでしょうか。

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